私の部屋が、いつから「ゴミ屋敷」と呼ばれるような状態になったのか、正確には思い出せません。仕事のプレッシャーと長時間労働で心身ともに疲れ果て、家に帰ると何もする気力が湧かなかったのが始まりでした。脱いだ服は床に、食べた後の弁当容器はテーブルの上に。最初は小さな怠惰の積み重ねでした。しかし、その小さな山は気づけば私の背丈ほどの高さになり、部屋は足の踏み場もない、異臭を放つ空間へと変わり果てていました。友人からの誘いも断り、誰にもこの惨状を見られたくない一心で、私は社会から孤立していきました。何度も、自分で片付けようと試みました。ゴミ袋を数枚買ってきては、どこから手をつけていいか分からず途方に暮れ、結局はそのまま放置。そんな自分に嫌気がさし、「私はなんてダメな人間なんだ」と責め続ける日々。ゴミの山は、私の自己肯定感の低さを映し出す鏡のようでした。業者に頼むという選択肢は、頭の片隅にはありました。でも、それ以上に「恥ずかしい」という気持ちが勝っていました。見ず知らずの人に、自分の最も醜い部分をさらけ出すことへの恐怖。そして、決して安くはないであろう費用への不安。しかし、ある日、床に落ちていた雑誌に足を滑らせて転倒し、棚の角で頭を打ちそうになった時、ふと「このままでは、ここで孤独死するかもしれない」という強烈な恐怖に襲われました。その瞬間、恥ずかしさも不安も吹き飛び、私は震える手でスマートフォンの画面をタップしていました。清掃当日、やって来たスタッフの方々は、私の部屋の惨状を見ても顔色一つ変えず、ただ「大変でしたね。一緒にきれいにしましょう」と優しく声をかけてくれました。その一言に、私は涙が出そうになるのを必死で堪えました。彼らは淡々と、しかし驚くほど手際よくゴミを運び出し、私の心を縛り付けていた重い鎖を断ち切ってくれました。全てが終わった後、がらんとした部屋に差し込む夕陽を見て、私はようやく深呼吸ができた気がしました。業者に頼むことは、敗北ではなく、新しい人生を始めるための、勇気ある選択だったのです。